2001年8月の「北欧でもがまんしましょう。」


01.08.01,Wed街中でつぶやいてみる。
01.08.02,Thuふらふら自転車を漕いでみる。
01.08.05,Sun友人の荷物を持ってみる。
01.08.07,Tueカップ麺で喜んでみる。
01.08.10,Friザリガニを食してみる。
01.08.12,Sunバイキングの古都を訪れてみる。
01.08.18,Satウィーンに到着してみる。
01.08.19,Sunウィーンで棒になってみる。
01.08.20,Monウィーンを発ってみる。
01.08.21,Tueザルツブルグでちょっと恥ずかしくなってみる。
01.08.22,Wedチロルでダウンしてみる。

01.08.01,Wed 「街中でつぶやいてみる。」

スウェーデンの公用語は当然のごとくスウェーデン(瑞典)語である。

スウェーデン人はゲルマン系人種であり、 すなわちスウェーデン語というのはドイツ語の流れをもつ言葉で、 活用形のバリエーションが全然少ない分、ドイツ語よりは修得するのが楽だそうだ。 だが、スウェーデン語というのは国外では通じない。 つまり、今から一生懸命スウェーデン語を勉強したところで、 使えるのは残り9ヶ月のみである。 それに、所属している大学の研究室では教授自身がオランダ人なので、 普段から職場では全て英語やりとりが行われているのだ。 ということで、修得はほぼ諦めている。もっとも生活が不便なので、 本当に必要最低限の簡単な単語ぐらいは覚える努力はしているが。

ということで、街中を歩いていても、 周りの人達の話すことはチンプンカンプンというある意味悲しい状況なのだ。 だが、ここは日本から遠く離れた北欧の地。 逆にこちらが日本語で話したとしてもチンプンカンプンである筈である。

実験をしてみよう。

ストックホルムの目抜き通り、Drottninggatanの真中でつぶやいてみる。

「きんたまぶらぶら。」

東京は渋谷のド真中でやったら当然白い目で見られることだろうが、 ストックホルムではおおかた問題ないようだ。これからも、 どんどん下劣な言葉をスウェーデン人の前で声に出してみるのだ。

というか、 30歳過ぎた男が、どこの国であれ街中でそんな言葉をつぶやくこと自体、 問題があると思います。


01.08.02,Thu 「ふらふら自転車を漕いでみる。」

北欧の夜がいつまでも長いと思ったら大間違いなのだ。

日照時間が最長なのは夏至で、 その日を境にどんどん日が短くなっていく。既に日の入りは21時ぐらいである。 それでも日本と比べるとまだまだ長い気もするが、 23時頃まで空が明るかった時期に比べると、やはり差を感じてしまうのだ。 夜も15度ぐらいまで気温も下がり、街にも人が戻りつつある。 予想より短かった夏も終盤に近づきつつあるのを感じる。

夏を名残惜しく楽しみたいと言うわけではないが、 研究室の連中(教授も含む)とテニスをしたのだ。 教授は基本的にスポーツフリークなので、テニスも上手で、 こてんぱんにやられる。だが、 2時間もボールを追いかけた後のビールは実にうまい。

ちなみに、スウェーデンは飲酒運転に非常にうるさい。 もちろん、自転車も日本と同様に立派に捕まる。 んでも、「ういーっ」と。蛇行しながら帰ったのはここだけの秘密なのだ。


01.08.05,Sun 「友人の荷物を持ってみる。」

久しぶりに空港に向かったのだ。

というのも、妻との共通の友人 がアーランダ空港に到着するのだ。狭い我が家に、 2週間もの間我慢して滞在してくれるだけでなく、 オーストリア旅行までつきあってくれるという太っ腹な姉御さんである。 太っ腹といっても、スレンダーな方なんですが。

日本からヨーロッパへの飛行機便は大抵朝発の夜着なので、 ヨーロッパのハブ空港経由(例えばフランクフルトやヒースロー)で地方都市まで到着すると、 日本時間で換算するとほぼ徹夜状態でたどり着くことになる。 と言うわけで、案の定彼女はよれよれの状態で出てきたのだ。 自分も3ヶ月前は全く同じ状態だったので、よく分かる。

実を言うと私の役目は荷物持ちなのだが、荷物を持ってびっくり。 鉛の固まりのように重いのだ。理由を訊いてみると、 「そりゃ、いろいろ頼まれたしね」と彼女も力無く笑った。

いざ我が家に到着してスーツケースを開けると。

吟醸酒(4合瓶)、ゆで小豆(2缶)、インスタントラーメン(5個)、カップうどん(2個)、 ちらし寿司のもと(1袋)、餡ドーナツ(3袋)、PS2ソフト(1本)、ビデオ(2本)、DVD(2本)。

うーん、重いはずだわ。

というか、モノを頼むときはもうちょっと節操をもて、という話もある。


01.08.07,Tue 「カップ麺で喜んでみる。」

カップ麺を食べたのだ。

もちろん、ストックホルムでも日本食屋に行けば、カップ麺は売っている。 だが、とても買おうという気が起きないぐらいの値段である(約3倍)。 悲しいかな、こちらではカップ麺は高級品なのだ。

ところが、先日近所のスーパーをぶらぶらしていて発見してしまったのだ。 国内でもおなじみの容器に入ったカップ麺である。 パッケージにはアメリカ製とあり、値段も国内の1.5倍程度だ。 おもてには、スウェーデン語で"Japansk nudlesuppe"とある。 直訳すれば、『日本のヌードルスープ』。 「探せばあるじゃん」と夫婦で狂喜乱舞。 ここは日本から地球を1/3周も行った遙か北欧の地であるので、 こんな些細なことでも我々にとっては充分大きな出来事なのである。

Japansk Nudlesuppe
やぱんすく ぬーどぅるすっぷ

だが、味は見事に裏切られた。お湯を入れて3分しか経っていないのに、 麺はぶよぶよ。スープは味が薄く、なんとなく東南アジア風の味付け。 具もなんだか予想していたのと違う。こんなのカップ麺ではない。 これではNissinの名が泣いてしまう。

この悲しき事件以来、カップ麺からはしばらく遠ざかっていたのだが、 今日の我々はひと味違う。

知人が持ってきてくれたカップ麺があるのだ。 厳かにお湯を注ぎ、きっちり3分でふたを開けてかき混ぜ、食す。う、うまい。 やはり全然味が違う。醤油味にコクのあるスープ。 化学調味料で舌がしびれようが、この際関係ないのだ。 御主人様(仮名)も「うめぇー」と感涙にむせいで居る。 やはりカップ麺はこうでなければという味である。 日本の皆様はこんなうまいモノが24時間購入できるのか。くわっ。

限定復刻版スパイシーポーク味
本物(限定復刻版スパイシーポーク味)

というか、 カップ麺ごときで感涙にむせぶ夫婦というのもどうかしていると思うのだ。 もちろん、webにわざわざ写真を撮って載せるというのも。


01.08.10,Fri 「ザリガニを食してみる。」

どの民族にも余所からだと不思議に見える食習慣と言うモノがあるが、 スウェーデン人も例外ではない。

ここスウェーデンではザリガニが8月の最初の満月の日に解禁されるので、 それをつまみにシュナップス(焼酎)をあおるという趣旨のパーティを開催し、 この時だけは飲んだくれて羽目を思い切り外す習慣があるらしい。 私の記憶では夏至祭の時も スウェーデン人は羽目を外していたような気がするが、 細かいことは気にしない方が良いだろう。

このお祭り騒ぎの趣旨は、短い夏の終わりを惜しむということらしい。 8月も半ばで夏の終わりを惜しむというのも何となく薄ら寒い気がするが、 最近は昼間も23度程度までしか上がらないので(晩は12度程度) もはや夏と言うにはちょっと苦しい気候であることは確かである (ちなみに、このページの一番下でリアルタイムの気象状況が見られます)。 もっとも、スウェーデン人は「まだ8月は暖かい」と主張しながら、 鳥肌を立てながら短パンを履くような民族なので、 細かいことは気にしない方が良いだろう。

ちなみに、ザリガニの調理方は、 ビールとdillという香草で茹でるというものらしいが、 通常はスーパーで調理済みの冷凍モノを購入して来る。 というのも、スウェーデン国内では20世紀初頭に ほとんどのザリガニが絶滅してしまい、 9割以上を外国からの輸入に頼っているからである。 よく考えてみると、輸入冷凍モノに「解禁」などという概念はない筈なのだが、 これもやっぱり気にしない方が良いだろう。

とまぁ、抜け穴だらけの理論のもとに ザリガニパーティというイベントが開催されているのだが、 とにかく楽しむのが本筋であろう。 だが、そもそも私にはスウェーデン人の知り合いというのは1人しかいないので、 その手のパーティに誘われる可能性は非常に少ない。というわけで、 現在我が家に遊びに来ている女性と我々夫婦で 日本人だけのザリガニパーティを開催することにしたのだ。

ザリガニ
食卓風景

少々泥臭い気もするが、香草のdillが臭みを抜いていい感じ。 簡単に言うと、エビのような味である。だが、剥くのがとにかく面倒。 せっかく剥いても一口で終わってしまうので、 ザリガニとシュナップス(芋焼酎)を交互に口にする感じである。 ちなみに、シュナップスにも何だか得体の知れない香草の香り付けがしてあり、 アルコール度数も40%ときつい。

と言うわけでものすごい勢いで酔いがまわり、食事開始後20分でダウン。 楽しむどころではない。ひたすらきついです。


01.08.12,Sun 「バイキングの古都を訪れてみる。」

北欧で有名なものといったら、バイキングである。

そう。「ビッケ」とかで有名なバイキング。竜をかたどった船に乗り、 7つの海を越えて世界中を旅したといわれる、あのバイキングである。 他にもフィンランドのムーミンとか、ノルウェーのフィヨルドとか、 福祉社会とか、トナカイとか、オーロラとか、男女平等とか、 スモーガスボードとか、税金とか、 よく考えてみるとたくさんあるが、今日のところは目をつぶっていて欲しい。 北欧で有名なのは、バイキングといったらバイキングなのだっ。

えーと、何をそんなにやっきになって主張しているのかよく分らないが、 とにかく、8世紀から11世紀の間、 バイキングの首都だったと言われる Birka(ビルカ) (←リンク先はスウェーデン語だけですが、写真で雰囲気は分かるでしょう) の跡を訪れたのだ。 ストックホルムが街として成立したのが13世紀頃と言うことだから、 それより遙か昔のことである。この街跡は、 ストックホルムが面するメラーレンという湖を フェリーで1時間半上流に向うとある。

だが、何しろそんな昔のことである。 建物が残っているわけでもなく、ただの島でしかない。博物館が1つあるぐらい。 聞くところに依ると、 「昔ビルカって街があったようだけどどうやらここら辺が怪しい」 と発掘が始まったのが90年代で、 それまでは個人の農地だったようだ。 ちなみにここは日本国内で売られているガイドブックには載っていない、 超マイナーな観光地である。なかなか日本人もツアー組んでこんなところまで来まい。 って、自分も日本人なんだけどね。

だが、我々が直面した問題は気候であった。 ストックホルムの気候は不安定で、 朝晴れていても夕方には雷雨になってしまったりと非常に変化しやすい。 というわけでフェリーに乗っている間、どんどん天気は悪化し、 島に到着した時点で立派な雨模様。 そのまま桟橋できびすを返し、 乗ってきた船に乗って帰りたくなってしまうような感じである。 しかも寒い。おそらく気温は12度ぐらいしかなかっただろう。

だが、このまま帰っては勿体ない。なにしろ、 ガイドツアー込みの往復切符を220kr(約2,500円)を購入したのだ。

ということでモトを取るべく、ガイドツアーについていった。 丘の斜面に沢山配置されたコブで形成される墓地跡、 10世紀の城壁跡からの景色など興味深いものばかりではあるのだが、 この時点で気象状況は横殴りの雨。もはや修行のような状態である。 ガイドさんの声も風にかき消され、遠くの風景も霞んできた。 もう風景など写真に撮っても仕方がない。

皆、ガイドの声など耳に入っていないようである。 ただヒタスラ爪先を見ながら修行に耐える。 というわけで、遠方に向けていたカメラの方向を変え、 ツアー客を撮ってみたのだ。

ツアーの様子

というか、こういうことをするから日本人観光客の評判が落ちるのだ。

補足

ちなみに、こちらに来て知り合いになった Taroさん ビルカのバイキング遺跡の方がよっぽど親切なので、そちらを御参照あれ。


01.08.18,Sat 「ウィーンに到着してみる。」

ストックホルムから2.5時間飛ぶと、 ウィーンぢゃなくてチューリッヒに着くのだ。

残念ながらストックホルムからウィーンへの直行便はない。 ストックホルムもウィーンも同じヨーロッパにある癖して、面倒くさい。 しかも、乗り継ぎは2.5時間待ち。スイスフランも持ち合わせていないし、 街に出かけるには少々時間がない。 こうして、うだうだと無駄な時間を過ごしたのだ。

とにかく、無事ウィーンに着き、レンタカーを借りるべくカウンターに向かう。 そこに居た太めのおねーさんに依ると、 ハンガリーで開催されるF1のおかげで観光客が殺到し、 車が全部出払ってしまったとのこと。 結局、レンタカーはフォルクスワーゲンのBora。 どうやらこれはPassartのバンバージョンのようで、 OpelのAstraよりかは遙かに大きいのだが、 問題はディーゼルエンジンのマニュアルトランスミッションであることだ。 しかも私は14年間もマニュアル車を運転していないのだ。更に右側通行。 道も良く分からない。

だが、三重苦を乗り越えなければ寝られないのだ。 結局、エンスト2回を経てホテルに到着したのは夜の9時である。 うーん、へとへと。

だが、気を取り直して街に出て歩いてみることにした。 そこで至るところで発見したのはこれ。

インポ

どうやら輸入雑貨を扱う店で「Import」を略した名称のようである。 しかし、これはいくら何でもアレなのではないかと思うのだが、 これも粋なウィーンっ子ってやつなんでしょうか。

夜のウィーンを散策してみたい方はこちらへ。

01.08.19,Sun 「ウィーンで棒になってみる。」

棒になるのは私ではなく、実は私の足なのだ。

今回の旅程を決めたのは御主人様(仮名)と、 友人のEveさんである。 私は旅行の直前では仕事が忙しかったのと面倒くさかったのでお任せしてしまったのだ。 だが、ここに少々過ちがあった。

事前に渡された旅程表を見る限り、午前中にはミヒャエル門、皇帝の部屋、 国立図書館、王宮宝物館、新王宮古楽器博物館、王宮庭園を見て、 午後には国立オペラ座、ザッハホテル、カフェモーツァルト、シュテファン教会、 フィガロハウス、ペーター教会をまわる、強行軍ツアーパックも真っ青の状況。 しかも移動手段は徒歩。何だか拷問のようである。

いざまわってみると、 もうマリアテレーザからエリザベス皇后やら年代もごちゃごちゃ。 足はまさしく棒のような状態。しかも暑い。

そんな中、ウィーン市内でこんなモノを見つけたのだ。 私にとっては一服の清涼剤。

メーテル

メーテルである。 銀河鉄道999 で鉄郎と一緒に旅行する女性。 以前MTVで 松本零士によるプロデュースのプロモーションビデオを見たが、 こんなところまで進出しているとわ。恐るべし松本零士。

というか、わざわざウィーンまで来てこんなもので和むのはおかしいと思います。

もっとまともな昼間のウィーンを散策してみたい方はこちらへ。

01.08.20,Mon 「ウィーンを発ってみる。」

強行軍は今日も進むのだ。

本日の目的地は音楽の都ザルツブルグであるのだが、 予定表にその前にもはなにやら書いてある。 「音楽の都」といったらウィーンもだったような気がするが、それはともかく。

そもそも、クラシック音楽好きを自称しておきながら、 ウィーンでは楽友協会(Musik verein)とか歌劇場を 全然まわらないというのもおかしな話なのであるが、 切符は1年も前から予約していないと手に入らないらしく、 建物だけ見てもしょうがないと思ったので全くまわっていない。 本当は切符が手に入らなかったのが悔しいだけなのだが、 そんなことを認める程、私は器が大きな人間ではないのだ。

いずれにせよ、予定表に依れば、 ウィーンのショーンブルン城に寄ってからザルツブルグへ出発するらしい。 だが、既に昨日から14世紀級の古い骨董品や建築物を嫌というほど見ているので、 18世紀に改築されたというこの綺麗な城を見ても

「なんだ、たったの18世紀か」

というかなり横柄な状態なのだ。 そういう自分は30年ちょっとしか生きていない癖に。 それにザルツブルグまでのドライブも気になり中々集中できない。 あ、あの人は鼻の穴が大きいな、とか、 西洋人もこのぐらいの気温だと汗をかくんだ、とか。

折角の素晴しい建築もダイナシなのだ。

ウィーンからザルツブルグへ旅をしてみたい方はこちらへ。

01.08.21,Tue 「ザルツブルグでちょっと恥ずかしくなってみる。」

「起きるよっ。」

との御主人様(仮名)の声で目が覚めたのだ。 ザルツブルグも見るものが沢山あるので、一刻も無駄にしたくないらしい。 個人的にはザルツブルグではモーツァルトの生家とか旧住居を見れば もう充分と言ったアンバイなのだが、そうは問屋が卸さないらしい。 昨日のうちにザルツブルグカードを購入し、 元をとるべく観光地めぐりをすることとなる。

ホーヘンザルツブルグ城を登ったり、レジデンツに行ったり、 まぁ、今日も良くもこんなに歩いたなといった感じである。 歩きすぎで足が痛いほどである。

しかし、ウィーンもすごかったがこの街も非常に日本人が多い。 夏休みシーズンだというのもあるだろうが、 とにかく至る所日本人だらけである。って、 そういう自分も勿論日本人なので、 こういうコメントをする自体ナンセンスなのだが。

でも、いくらカツラをかぶっているからと言っても、 モーツァルトの生家でザルツブルグの大司教の絵を指さして、 大声で「あ、バッハ!」と叫ぶのは、 同じ日本人として結構恥ずかしいので辞めて頂きたいのだ。

ザルツブルグを散策してみたい方はこちらへ。

01.08.22,Wed 「チロルでダウンしてみる。」

ザルツブルグからチロルの中のザルツカンマーグートまで移動したのは良いのだが、 昼過に頭痛によりダウン。

結局、午後は宿で寝て過ごす。どうやら無理し過ぎたようなのだ。

ザルツカンマーグートを散策してみたい方はこちらへ。

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